3月下旬に、新潟市で二つのコンサートを聴いて改めて感じたこと。
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サクソフォンとピアノのデュオリサイタルでは、ピアノ作品をサクソフォン用に編曲したものをいくつか演奏していました。
また、秋葉区のコンサートでは、声楽作品を器楽曲として編曲したものがあり、聴いていてとても新鮮だったのを覚えています。
原曲を知っていると、編曲作品の演奏を聴きながら「もとの音」を想像してしまうことがあります。それを脳内再生しながら演奏を聴いてしまうことも、まあまああります。
この行為(現象)を、目の前で繰り広げられる熱演に対して失礼にあたる、と言う人がいるかもしれません。
それはおそらく、原曲と編曲を比べることで「原曲はこうじゃない」「アーティキュレーションが違う」「やっぱり歌詞がなくちゃだめだ」などのネガティブな印象を意識的に持ちやすいからだと思います。
私自身、これまでにコンサートのアンコールピースとして歌謡曲や演歌を歌うことがあったのですが、上記の不安はいつも抱いていました。
最近では、石川さゆりさんのレパートリー「津軽海峡・冬景色」や中島みゆきさんの「糸」「慕情」を歌っています。
私自身楽しんで歌ってはいるのですが、聴衆の中には「原曲と違う」「発声が違う」「○○の部分は似てたけど●●の部分は何か違った」のような印象を持つ方がいるかもしれない、という不安がいつもありました。
そんな中、ちょうど1月の「新春歌い初めコンサート」だったと思いますが、帰り際に一人のお客様から声をかけられました。
「最後に歌ったあの演歌、おもしろかった。クラシックっぽく聴くのも、たまにはいいものね」
この一言で、はっとしました。
「これもアリ」と感じてもらえる演奏ができればそれでいいのでは、と思い直せた瞬間でした。いわゆる「カバー演奏」ですね。
また、こうも考えるきっかけになりました。
今までいろんなアーティストの演奏を参考にしてきたものの、参考にした上で披露した私の演奏は「コピー」だったのか、「カバー」だったのか。
3月下旬に聴いたコンサートの話に戻りますが、サクソフォンで演奏されたカーペンターズ「青春の輝き」や、ユーフォニアムで演奏されたモーツァルトのミサ曲、ヴァイオリンで演奏された「ロンドンデリーの歌」は、まさに良質なカバー演奏でした。
プレイヤーが歌い、その息づかいで楽器が歌い、まるで原曲の歌詞そのものが聞こえてくるかのような、そんな大きくてふくよかな熱量を感じさせられました。
聴いていて、とても幸せな心地よい気分でした。
こういう「歌い方」を、私は声楽作品で表現できているのだろうか。
原曲や初演者の印象が強い作品では「これもアリ」と感じさせる演奏ができているだろうか。
作品に備わっている「歌」を披露するだけでなく、私の「歌(心)」を表現するだけでもなく、その両者を掛け合わせた表現ができているだろうか。
今後の課題として、一つ一つの曲、一つ一つのステージで自問していきたいです。