メゾソプラノ中森千春~うた日記~

ドイツ音楽と日本抒情歌が大好きな中森千春のつれづれ日記♪

目に見えないものの価値

昨年、合唱指揮法の講座を受講(聴講)しました。

これまでにも合唱“指導”について学んだことはあっても、合唱のための指揮法を学んだ経験はなく、見様見真似で振っていました。

一日聴講して、ガツンとやられました。

私のは、指揮じゃない。

その講座で語られていた、「日本では誰でも指揮者になれてしまう」という表現が印象的でした。大学などで専門教育を受けていなくても、合唱団を束ねて指揮が振れてしまう。聴衆の前で指揮を振れてしまう。プログラムに「指揮者」として名前を載せられてしまう。よくよく考えると、かなり恐ろしいことだなと思いました。

私は、「指揮者」を名乗れるのだろうか。

「指揮者」としてお金をいただけるのだろうか。

現在、定期的に関わっている合唱団は3団体。ほかに、期間限定で不定期に関わっている団体も含めると、合わせて5団体。団ごとに私の立ち位置や関わり方は違いますが、私の指導のアプローチは一貫して「歌い手」「声楽家」としてのものです。決して「指揮者」ではありません。しかしながら、合唱団の出演するステージは大なり小なり毎年1回以上遭遇するわけで、そのたびに便宜上「指揮者」として名前が掲載されてしまいます。そして、指導する以上指揮を振らないわけにはいきません。

プロの指揮者との大きな差を実感しつつ、それでも、より分かりやすい的確な指導をするために、また、合唱団の皆さんにのびのびと歌ってもらうために、そして、ステージ上で私が「悪目立ち」しないために、指揮の勉強をコツコツ続けていこうと思いました。

 

とはいえ、合唱団の方は分かってらっしゃるのだと思います。

1回の指導料の方が、1回のステージ(指揮料)より多いというのは、つまりそういうことなんでしょうね。まだ、私がやっているのは「指揮」ではないのだと思います。

厳しいジャッジが、金額に如実に表れています...。

割りに合わないなぁと感じることも多々ありますが、私のスキルからして妥当なのでしょう。

ガンバリマス。