メゾソプラノ中森千春~うた日記~

ドイツ音楽と日本抒情歌が大好きな中森千春のつれづれ日記♪

ハイネの詩

先日、NHKでナタリー・シュトゥッツマンのリサイタル(一部)が放映されていました。
シューマンの「詩人の恋」の演奏を、抜粋とはいえじっくり堪能することができました。

ネットでもいろんな反応があるようですが、「ビジネスライク」な歌い方(つまり、そこまで情熱的な歌い方ではなかった、ということを言いたいのでしょう)という感想を見つけ、なるほどそういう捉え方もあるのだなと考えさせられました。

言われてみれば、私の手元にあるシュトゥッツマンの音源はちょっと古くて、確かに「情熱的」「表現が豊か」と言うこともできそうです。
それと比較すると、「ビジネス」「ライト」などと受け止められる、かもしれません。

しかしながら、私がテレビで聴く分にはそのような「違和感」のようなものはなく、ただただハイネの詩とシューマンの音楽、それにシュトゥッツマンのふくよかで柔らかな声に聴き入り、幸せな気持ちになっていました。
つまり、演奏を聴いて何を感じ何を思い何を考えるかは、人それぞれなんですよね。
それにしても、シュトゥッツマンのような声で歌ってみたいものです。
20年後・・・厳しいか(泣)



さて、シューマンの歌曲作品で有名なものに、連作歌曲集「女の愛と生涯」があります。
こちらの詩人は、アーデルベルト・フォン・シャミッソー。
フランス革命を受けてドイツに一家亡命した、フランス貴族の子孫です。
ドイツ語による小説や詩をたくさん遺していますが、ゲーテやハイネなど著名な詩人と比べると、その評価はいまひとつ。
「女の愛と生涯」として書かれたこの連作詩も、大絶賛というわけではなかったそうです。

私はそこまでドイツ語ができないので、詩のよしあしなんてさっぱりなのですが、ハイネの詩を読んでいると、なんとなく違いのようなものを感じます。
ハイネの詩は、余計な言葉の装飾がない。
限りなく余計なものをそぎ落として、最低限の言葉で紡いでいるように感じます。

ハイネの有名な詩集「歌の本」。
「詩人の恋」やメンデルスゾーンの「歌の翼に」などが収録されているこの詩集には、恋の喜びや失恋の痛みを表現したロマンチックな作品が多くあります。
ですが、その「ロマンチック」の要素は、読んでいる「私自身」が補填しているのでしょう。
水面に落とされた小石がハイネの言葉だとすれば、そこから広がる波紋は読み手が想像する世界。
少ない言葉で表現された詩であるからこそ、読み手によって様々な世界観が生み出され、詩に向き合う毎に新しい作品解釈ができるのだと思います。

※少ない言葉、というと語弊がありそうですが、単語数とか行数とか、そういう具体的な数値による量ではなく、あくまでも感覚的な表現です。



「詩人の恋」は学生時代に全曲を勉強しましたが、また歌いたくなりました。
女性が歌う、というものではなく、ただ誠実にハイネの言葉と向き合い、その世界をシューマンの作品を通して表現してみたくなりました。